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美術館について

平日の昼間、中央線に揺られている。 引越しをするための住民票を受け取りに八王子へ向かい、そのまま御徒町の会社に向かっている。

前日「引越しのために住民票取りに行くから明日はいつもと同じくらい遅刻しますね」と上司に言ったところ(´-`).。oO(何言ってんだこいつ)みたいな顔をされてしまったし、僕も(何言ってんだ自分)と自分で思ったりしていた。

そんなことは御構い無しに、中央線は青空の下を走る。割と高い位置を走るこの電車は空がよく見えるから好きだ。 青空を見ていると思い出すのは幼い頃に父と行ったモランディ展だ。静物と風景を描き続けた彼の作品のそれと西東京のそれに共通項があるわけではなく、父と車で行ったあの美術館のイメージがその2つを引き合わせるのだろう、と僕自身は思っている。 あれは休日だったのか、それとも平日だったのかも覚えていない。車で行ったことは覚えているものの、場所がどこだったかも定かでない。 ただ、少し山の奥にある小さな美術館で、そこの喫茶店はまるで世界から切り離されたかのごとく静かで、20年以上経過した今尚あのままの姿でどこかにあるのではないかと考えてしまう。 中高生になってお互いの人間性について苛立ちを感じあう前は父とよく美術館に行った。全てを覚えているわけではないがいくつか印象に残っているものがあり、1つはこのモランディ展、もう1つはムンク展である。 「叫び」で有名な作家だというのは言うまでもないが、彼の絵から溢れるものが幼い僕には刺激が強く、途中で父を残して外に出た。 小さな箱に押し詰められた重圧から逃れた外の空気に触れ、ようやく吐き気がおさまったのを覚えている。 そのあと父と行った喫茶店のレモンジュースはとても酸っぱく、あれは今思えば上野のギャランだった気がする。

そんなことを考えているうちに電車は三鷹を出た。中央特快はまさに快適な速さで僕を運ぶ。外の景色は相変わらず高い建物は少ないものの浅川のような川は見当たらないし、富士山も少しぼやけたように見える。

美術館と言えば、大学生の時に見に行ったあれはなんだっただろうか。ミュシャか岡本太郎かゴヤだった気がするものの、その振れ幅が大きすぎて逆に思い出せない。 当時、なんとなく気になっていた女の子からの誘いでついて行き、絵ではなくその子ばかり見ていたから内容は大して覚えていない。

そう考えると美術館を一番真剣に楽しんでいたのは幼い頃だったようにも思う。 映画館や図書館に通じる静けさと現世との隔絶、その空間に広がる作家のエネルギーと執着と情念を全身に受け止められたのはやはり今より幼い頃だったと。 当時の僕に、なにか作ることができたのならその発散をしたのではないかと思うものの、当時の僕はそんな方法は知らず、身体の中に溜まってしまったものの行く先を探して親の目を盗んで深夜徘徊を繰り返し、畑の真ん中で星空を見ながら寝転がるくらいのことしかできなかった。

どうにもこうにも、少し年をとってしまった身体を揺らして中央線は中野を出た。本当ならばここで降りて家に帰りたいところだけれど、行くと言ってしまった手前会社に行かなくてはならない。

僕の働く上野は先ほど書いた上野の美術館に歩いて行けるところにあるにも関わらず、最後に行ったのはエヴァンゲリヲン展以来だ。いくつか見たいものがあったにも関わらず、さらに仕事中にサボっていくことができるにも関わらず、僕はあの場所に行っていない。 やはり美術館は日常であって日常の外にあって欲しいのかもしれない。

今度の引越しにはあのモランディ展で買ったポスターを持って行こうかなと考えながら電車の揺れに身体を任せ、眠ることにした。


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