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自分のこと


心理学者のアドラー曰く「記憶は啓示的なものである」という。 だとするならば、一番古い記憶というのは人生において自分が残しておきたい最初の啓示であることになる。

僕の思い出しうる一番古い記憶は、保育園の頃に母と二人で公園に行った時のものだ。 冬が春に変わり始めるくらいの少しぬるい季節だったが、空は見渡す限りの曇天であった気がする。 その日、僕たちは買ってもらったばかりのプラスチックでできた青い飛行機を飛ばすために近所の公園に行った。 四方をコンクリートの塀に覆われた広い公園で、その壁の灰色と空の色が似ていてなんだかどこまでも空みたいだった。 「お手本を見せるから」そういって母が放った飛行機は灰色の空に青い線を描き、そして公園内にあった大きな気にひっかかって戻ってくることはなかった。 その時、僕が泣いたのか怒ったのか悲しんだのかは覚えていない。 ただ、謝る母の声と灰色の景色の中にぽつんと立った大きな木の緑、そしてひっかかった飛行機の青がなんとはなしに無常と美しさを湛えていた気がする。

まあ、そんなことを言いながらその日の晩御飯が僕の好きなカレーだったことだけはやたらと鮮明に覚えているからなんだかんだで現金なものだ。とにかく、僕の一番古い記憶はそういったもので、なんとなく僕自身の人間性の根底がそういうものであると言われればそんな気がする。そうして僕は気づけばその少し過剰なセンチメンタルをこじらせてギターを始め、バンドを組んでいた。人生で初めて完成させた曲は「光」というタイトルで、サビの歌詞は

「悲しいことで涙が溢れ、いつか僕たち見失ってた 短い夢の終わりはいつも悲しいことと知っていたのに」

幼い頃から僕はずっと悲しいことで目が霞んで、なにもわからないまま生きている気がする。

大人になった僕は新井薬師前という西武新宿線の駅から徒歩2分ほどのマンションに住んでいる。駅前に大きな建物はあまりない。窓から見える景色は駅前の小さな商店と、すぐ横にある高校くらいだ。僕は毎日その高校に通う生徒たちの声で目を覚まし、だらだらと体にまとわりつく布団と眠気からどうにかこうにか脱出する。眠るのが特段好きではないけれど、起きるという作業は苦手だ。カーテンを開けて太陽の光を浴びて無理やり覚醒させた頭で職場のある御徒町まで向かう。西武新宿線の各停は基本的にそこまで混むこともなく、通勤時間から外れた時間に出社する僕は満員電車に悩まされることはほとんどない。会社は小さな出版社で、僕はパズル雑誌とたまにそれと関係の無い雑誌を企画しながら日々を過ごしている。その生活の中では悲しいことなど大して起こるわけではなく、僕は常に頭にあった悲しいことを反芻しながら生きている。


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